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スポット名:無宿人の墓
  (むしゅくにんのはか)
場所:治助町 [地図で確認]
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解説

向かって右側は天明3年(1778)に建てられた最初の石塔、左側は天明3年の石塔が破壊したので、天保15年に再建されたものです。そして中央のかまぼこ形の石塔は嘉永6年(1853)に建てられたもので、青盤間歩(あおばんまぶ)で火災がおこり、坑内で作業をしていた水替人足28人がなくなりました。その水替無宿の戒名・生地・俗名・年令などが刻まれています。

彼等は金山坑内にたまった地下水をくみあげるため、当時江戸・大坂・長崎の天領地にいた無宿人(今でいうホームレス)でした。あたかも罪人のように唐丸籠に入れられ、相川へ送られて来た人達です。
その数は1800人余にのぼったといわれていますが、その大半は、都市の治安を維持するために、人別帳からはずされた人達を、誰彼の別なく一掃するという、幕府の苛酷なまでの政策の犠牲者だったのです。若くして鉱山で命を落とした彼らの供養塔には、数百年たった現在でも花が手向けられています。